紅魔館地下図書室、その奥に設えた閲覧室兼談話室。
その部屋の中には3人の人影があった。甲斐甲斐しく、テーブルの上に純白のクロスを咲かせる銀髪碧眼のメイド。その名を十六夜咲夜と言う。
そしてロッキングチェアに腰かけ、分厚い装丁の魔導書を読む、動かない大図書館ことパチュリー・ノーレッジ。
そして、
「という話なんですよ、パチュリー様」
咲夜は、銀色のカートから、午後のおやつ用の紅茶とその主賓を取りだしながら言う。
パチュリーは、レンズが極端に小さい丸い眼鏡、まるで私は視線すら動かさないの、と言ってるかのような眼鏡をくいっと押し上げて咲夜を見た。
自然な所作で流れていく一連の動きに一切の無駄はなく、咲夜はセッティングを終わらしていく。
「はい、お待たせしました」
咲夜は、恭しく一礼をして一歩下がった。
年季の入った木製の円形テーブルには、ティーポットとカップ、そしてプリンアラモードが並べられている。
天然水晶で造られた器はろうそくの炎に照らされ、水晶内部で反射した赤橙色の光が幾重にも織り込まれていた。
その器に包み込まれるように、ふんわりとした雪のような生クリーム。白いキャンバスに散りばめられたさくらんぼやキウイフルーツ、メロン、バナナ、そしてリンゴ。そして中央には琥珀色に輝くカスタードを身に滾らせたプリンが口に運ばれるのを今か今かと震えながら待っていた。
パチュリーは、本をぽんと畳み、いつの間にか真横に移動した咲夜にそれを渡した。
「まぁ、なっていったらいいのかしら? 些細な話じゃない?」
今日の紅茶はアールグレイのロイヤルミルクティー。紅茶を傾けながら、パチュリーは先ほどの咲夜の話にそう返した。
「ええ、まあそうなんですけれどね。別に盗まれたと言っても、食料品がほんの少しですし、被害なんてほとんどありませんから。ただ、」
アールグレイ独特の強い匂いも、埃っぽくきな臭い図書館では、それが丁度いい。パチュリーは紅茶の匂いをしばし楽しんで聞き返す。
「ただ?」
「ええ、気になる点が三つあります。一つは毎晩、きっかし盗んでいく点。一つは、盗まれる時に、その物音も聞こえないし、盗んだ者の姿を見ていない点」
「気味が悪い話ね。ポルターガイストかしら? ただ悪魔も畏れるこの館に幽霊なんてねぇ」
「いや、いいきみだぜ」
「それは、そうよ。今朝生まれたばかりの卵を使ってプリンをつくっているもの。そして、アンタはいつのまにここにいるのかしら、霧雨魔理沙?」
「おおっとフルネーム呼称とは、なんだか気恥かしいぜ。でも、メイド長。私は、今日許可をもらってここにいるんだぜ」
「私が許可を出したのは、図書の閲覧のみで、この場に同席することまでは許可をだしてはいないのだけれど……」
「固いこといってないで、お前もこのプラモ食ってみろって。そんな瑣末事どうでもよくなるから」
「む……きゅ…」
パチュリーの対面には、白黒の魔法使い――霧雨魔理沙が、特製のプリンアラモードをパチュリーの口に押し込んでいた。
魔理沙の口についたスプーンで食べさせられたことで、恥じらいを覚えたのか、それとも単に豪快にすくったプリンにむせたのか、パチュリーは顔を赤らめた。
無理に口に入れたせいでパチュリーの唇の周りに着いた生クリームを、魔理沙は人差し指でちょいと一撫でして自分の口に運ぶ。
魔理沙が離れたのち、パチュリーは口を覆ってしばし固まっていたが、やがて気だるげな瞳がぱっと見開かれて、
「おいしい!」
と、今度は別の意味で頬を朱に染めた。咲夜は手にしたナプキンでパチュリーの口元を拭っていると、魔理沙はにやにやしながら二人を眺めていた。
「パチュリー様が懐柔されても、私はそうはいかないわよ。大体、この前うちを半壊させておいて、よくもまぁここにこられたものね」
「あれは、フランが退屈そうにしてたから、遊んでやっただけだぜ、不可抗力だろ?
それに責任を感じて今日はアポをとってきてるんだから勘弁してくれよ」
「それでも、アンタが悪い」
痛いところを突かれたのか、咲夜は軽くため息を零してそれ以上反論するのを諦めた。事実、もう半壊はフランが暴れたせいでもある。そしてそれを止めきれなかった咲夜も、自身に責任を感じていた。
弾幕ごっこが始まって早々、勇んで止めようと間に入ったのはいいが、放たれたマスタースパークとレーヴァテインの交錯に敢え無く被弾。そのまま気を失って、気付いた時には紅魔館が爆発していた。
被弾の影響で、咲夜はメイド戦線を離脱するに他ならず、二週間安静を余儀なくされた。
ただ、季節が冬であったのが幸いした。冬の間は、寒さと飢えをしのぐ目的で、多くのメイドが集まってくる。
その大半が妖精たちなのであるが、猫の手も借りたい緊急事態、数の多さに任せてなんとか復旧作業をさせていた。中には固有の能力を持つ力の強い妖精もいるので、その妖精をチーフにしてチームを運営させている。
そして、今日咲夜は戦線に復帰した。と、同時に自分が伏せていた間に起こっている不可解な小さな異変を耳にしたのだった。
ちなみに当の魔理沙は、額と右手に大きな包帯をしているし、頬にはかさぶたがとれたばかりであろう瑞々しい肌色が斑点になっていた。
そんなやりとりを意に介さず、ひたすらプリンアラモードに恍惚な表情を浮かべているパチュリー。まるで恋人を眺めるような眼でうっとりと、テーブルに両肘をついてスプーンの先のさくらんぼを見ていた。
ふと、喧騒に気付いたパチュリーは、さくらんぼから目をそらさず、
「そういえば三つめを聞いてなかったけど、もうひとつは?」
「ああ、はい。それは」
と、咲夜が答えようとした時、
「あ、あたしのプリンアラモードがああああああ!!!!!」
図書館中に響き渡る絶叫が談話室を震撼させた。
パチュリーの向かいの席に用意されたプリンアラモード。
魔理沙がぱくつくそれは、当然魔理沙のものではない。
パチュリーの対面に座るのは、もちろんのこと、この館の主。
「レ、レミィ…」
「お嬢様」
「レミリア」
永遠に幼い紅い月、レミリア・スカーレットであった。
レミリアは、ばさばさと黒い翼を怒らせて、一直線に自身の席にスクランブル発進すると、そのままの勢いで魔理沙を突き飛ばし、半分以上減ったプリンアラモードを見て涙を零した。
「あ、あたしが、お花摘んでる間に、魔理沙ああああああああああ」
当の魔理沙には、十分すぎるほどの報復を加えたはずであろうに、レミリアは牙をむき出しにして猛り狂う。先の激突は障害物として排除しただけで、怨みを込めてふっ飛ばしたのではないのかもしれない。地を割る咆哮。天に轟く叫びをあげてレミリアは激昴していた。
しかし、咲夜はたじろいだ様子も見せず、己が主人に穏やかに語りかけた。
「魔理沙なら、壁に突き刺さっております、お嬢様。
それとこんなこともあろうかと、予備がありますゆえ、ご安心くださいませ」
「流石咲夜! メイドの鑑ね! さぁ、はやく出して頂戴な」
「ありがたき幸せ」
さっと、レミリアの前の食べかけのプリンアラモードを片づけると、カートから新しいもう一つを取りだして、テーブルに置く。
咲夜直々にレミリアの口にプリンを運ぶと、先ほどの慟哭が嘘のようにパッと笑顔が咲いた。そしてそれを見て、満足そうに微笑む咲夜。
(それ、小悪魔の分じゃ……)
やはり冷静にその様子を見ていたパチュリーは、涙目になりながら厨房に駆けていく愛しの司書の姿が目に浮かんで思わず落涙した。
■■
トッピングのリンゴ――レミリアのたっての希望で兎さんである――、を一口に食べながらレミリアは呟く。
「全く困ったものよね」
「食材泥棒のこと?」
聞き返すパチュリーは、紅茶を飲みながら先の魔導書の続きを読んでいた。
「三つめなんですが……。お嬢様の楽しみにしていた希少品入りのショートケーキも一緒に盗まれまして」
「あぁそれで」
「不届き者よ! 許さないわ!」
レミリアはフォークの尻をがつんとテーブルに叩きつける。
「というわけで咲夜、犯人を見つけ出してお仕置きしてあげなさい」
「まったくメイドも大変だよな、咲夜」
「アンタは黙ってなさい。埋めるわよ」
包帯を二倍にして帰って来た魔理沙は性懲りもなく軽口をたたく。この生命力とこの根性、こいつ実は吸血鬼なんじゃなかろうか、と咲夜はしみじみ思う。
図々しくも椅子を持ってきて、紅茶まで入れさせる始末である。ここまで図太くされれば、もう何も言うことはできなかった。
短い思考が途切れると、ぎゃあぎゃあと、レミリアと魔理沙が取っ組み合っていた。魔女たちのティータイムはまだまだ始まったばかり。腹ごしらえの後は適度な運動が健康に良い。
咲夜は、我関せずと本を読んでいたパチュリーに一声かけて、図書館の出口に向かう。扉に差し掛かると、後ろからはパチュリーの小さな悲鳴と、展開される魔法陣の波動を感じた。
「それではごゆるりと、お楽しみくださいませ」と、咲夜は誰に見られるでもなく深々と頭を下げた。
■■
姿も見えない、音も聞こえない相手にどう立ち向かうか、咲夜は考えていた。
ただ、立ち向かうという表現はいささか的を射ていない。存在を隠すということは、自分の弱さを露呈するものだと、咲夜は思う。
現に自身の主たるレミリアは、その圧倒的な存在感を惜しげもなく発揮し(たまに子どもっぽいところもあるが)、他の追随を許さぬ強者として幻想郷に知れ渡っている。
そのレミリアの屋敷で悪事を働くということを、犯人も分かっていることだろう。つまり、見つかればそこで終わりだ。
しかし、見つからないのだ。どういう魔術を使っているのか、盗んだ痕跡はあっても、その経路や侵入方法も分からない。
あれから、3日厨房の前で張り込んでいたのはいいものの、犯人らしき者は現れなかった。それだけならよかったのだが、しっかりと食材は盗まれていたのだ。
咲夜が目を光らせていたのにも関わらず、その始末である。
犯人が弱い弱いと侮っているからだとも反省したが、一向に解決策が浮かばなかった。
その日はたまたま、また魔理沙が一悶着起こして、図書館の清掃に駆り出されることになった。そのおかげで張り込みに向かう時間が遅れてしまった。
かつんかつんと、大理石でできた廊下を急ぎ足で進んでいく。厨房へと伸びた廊下を行くのは咲夜一人のみで、その一人分の足音が石に反響して静かさを醸し出していた。
しかし、その静かさが突如広がった。静寂という穴に落ちたと咲夜は思った。咲夜は止まってわけでないが、その足音が聞こえないのである。
不思議に思い、足を振り上げて床に思い切り蹴落とした。床から伝わる衝撃が足をしびれさせるが、音が途切れた奇妙な感覚。
そこで咲夜は犯人の情報を思いかえした。音がしない。音を出さない。そう咲夜は認識していたが、
「音を出さないのではなく、周囲の音を消している?」
咲夜がさらに数歩踏み出すと、五歩目で足音がかつんと木霊した。どうやら、音を消す範囲には限りがあるらしい。それならばと、咲夜は周囲を歩きまわり音の有無を確かめる。
無音はゆっくりと移動している。
だが、それまでだった。移動していることはわかっても、その正確な位置を掴めない。無音の仕組みは分かっても姿が見えないのだ。
音を消すということは、自身の周り、自分の音すらも消してしまうのであろう。咲夜があれだけ動き回っても、消音範囲の速さにはあまりぶれがなかった。
それは、追跡が容易であるということだ。
ただ、その追跡方法となると……
音の反響で、その正確な位置を掴むことができる手段、または能力。それさえあれば。
「――いらっしゃるじゃない」
咲夜は、ふっと微笑むといつの間にか姿を消していた。後に残されたのは一枚のトランプ、スペードのエースだった。
■■
「ねぇ、咲夜?! ゲームってなになに?!」
「うふふ、お待ちください、フランお嬢様。すぐに始めますから」
紅魔館の誇る大時計台、先日の弾幕ごっこのせいで傾いているが、その時計台のふもとのバルコニーに、咲夜とフランドール・スカーレットの姿があった。
フランは、満面の笑みで咲夜を見返す。熟れたあんずのように赤らんだ頬、吸い込まれそうになるほど純粋に紅い大きな瞳、ウェーブのかかった柔らかい金色の髪。その一つ一つが愛らしく、抱きしめて離したくなくなる衝動に駆られる。しかし、口元から顔を出す八重歯が、どうしようもなく彼女が吸血鬼であることを主張する。
この幼い吸血鬼が、先日紅魔館を破壊した張本人である。もっとも彼女に今は罪の意識はさらさらないのだが。
悪魔の妹。姉のレミリアと違い、自身の力の抑制ができず、その狂気により長年封じられてきた過去を持つ。
そんな彼女だからこそ、ほんの無邪気に、なんの未練も躊躇もなく、一切がっさい完膚なきまでに破壊を行える。先日の紅魔館半壊事件も遊び半分でしでかしてしまったようなものだ。
そんな彼女に若干のご足労を願って、手伝いをしてもらおうと咲夜は思ったのである。
別に主たるレミリアでも良かったのであるが、流石に主人を使って犯人捜しをするわけにもいかず、先日のお転婆のささやかな罰としてフランにこうして来てもらっているのだ。
「フランお嬢様」
そう言って咲夜は指を鳴らした。星空のオペラにその乾いた響きが消えていく。
「フランお嬢様、今弾いた音が消えた個所があります。その個所が鬼です」
「それで、それで、その鬼さんをキュッとしてドッカーンってするの?」
事無げにフランは、その鬼の位置の方を向いてそう聞いてきた。遮蔽物もなく、反射する物が少ないこのバルコニーにいても正確にモノを認識している。蝙蝠が持つ音波を感じ取り、反射する音を見る能力。その能力を持ってすれば、音が無くなるその部分はぽっかりと穴が浮かんでいるように見えるのだろう。
「いいえ、違いますよ、フランお嬢様。その鬼さんは移動するので、その鬼さんが止まるとこまで私をつれていけたら、フランお嬢様の勝ちです」
「勝ったら、その鬼さんをつぶしてもいいのね?」
「フランお嬢様、そんなことよりいいものを差し上げます。はい」
咲夜は、先ほどまで何も持っていなかったはずの左手にバスケットを下げて立っていた。
突如現れたバスケットに興味が行くかと思いきや、フランはバスケットの中身が気にかかったようだ。
ふんわりと風に乗りながらフランに届いた甘い香り。
「あ、それ!!」
咲夜が抱えたバスケットの中には、様々なクッキーがたくさん入っていた。丸いバニラクッキー、チェック柄のマーブルクッキー、アプリコットが宝石のように埋め込まれたフルーツクッキー。他にも色々たくさんのクッキー。
香ばしい匂いを漂わせたその籠に、フランは顔を突っ込もうとする。
「いいでしょ? いいでしょ? 咲夜ぁ、私ぜったい見つけるもん!」
そう言いながらもフランは、すんでのところで踏みとどまった。フランは咲夜の顔を伺い、上目づかいでお願いする。
ちらちらクッキーの方に目線が行くのを、必死で咲夜に悟られまいとしているが、やっぱり意識はクッキーの方に向いている。
健気に拳を握りしめて我慢をしているフラン。遠くで何かが弾ける音がした。
結んだ口からはよだれが一筋流れ落ちていく。
そんな様子を見て、咲夜の心が動かないはずもなかった。
――
「ポケットの なかには
ビスケットが ひとつ
ポケットを たたくと
ビスケットは ふたつ
もひとつ たたくと
ビスケットは みっつ
たたいて みるたび
ビスケットは ふえるー
あ、咲夜あっちよ」
結局、クッキーを食べながら捜すことになってしまった。フランと咲夜は歌を口ずさみながら、宵闇の中を飛んでいく。
お菓子はクッキーなんだけどなぁ、と咲夜は思うが、楽しそうに歌っているフランは見ればそんなことはどうでもいいかと思って、自分もクッキーを口にする。
サクッとした感触。砕けてたちまち口内に広がるバニラの柔らかい香り。そしてその香りに負けない甘い味。チョコチップがとろけて舌の上で踊る。
隣を見れば、クッキーの粉を顔中につけて、指をなめているフランが見える。そこでむせたのか、けんけんとフランはせき込んでしまう。すぐに咲夜は懐から吸い口付きのボトルを取りだしてフランに差し出す。ボトルにはホットミルクが入っており、口内に張り付いたクッキーの粉末を溶かして、さらに違った味わい方ができるようになっていた。
きゅぽんという音を立てて、ボトルから口を離したフランは、うーんと唸ってから、
「あとでお姉さまに見せびらかして食べようっ」
と、残りのクッキーをバスケットの布にくるんでスカートのポケットに入れた。
(帰ったら、大急ぎでクッキーを焼かなきゃね。…あぁこの前のお詫びに小悪魔にも差し入れしてあげないと)
ちなみに、小悪魔用のプリンアラモードをレミリアに進呈しまったあの日。蔵書整理から帰って来た小悪魔は、案の定わんわん泣きながら厨房へ駆けていき、メイド妖精用のおやつをやけ食いして軽い弾幕ごっこが起こった。
咲夜がそんな物想いに耽っていると、
「あそこで、鬼さんとまっちゃったよ」
と、フランが突然指を差した。
眼下には深い森。生い茂る木々には、何の特徴も見られないが、その中の一本。そこから微かに灯りが漏れていた。
大木の内部が空洞になり、そこを改装して家にしているのだろう。近寄ってみると、天窓も備えられており、なかなかしゃれた隠れ家的な住居だった。
■■
「ただいま、スター」
扉が勢いよく開かれると、寒気と同時に明るく大きな声が飛び込んできた。
「おかえり、サニー、ルナ」
部屋の奥のベッドからは、身を起こしたスターが帰宅した赤色の妖精、サニーを出迎える。
「にっしっし、今日も大量よぉ」
日の光のような輝く笑みでサニーは、スターに語りかけ、ずんずん中へ入っていく。しかしながら、もう一人、ルナと呼ばれた少女は一向に姿を現さなかった。
というのも、ルナは今日の戦利品を両手に抱えて立ち往生していたからだ。分厚い木製の扉はなかなか重く、閉まりかける直前でなんとか足をすべりこませたはいいが、ドアを開けることができないでいた。
「ちょっとサニー、こっちも手伝ってよ」
ルナは、両手で大きく膨らんだ包みと格闘しながら、足に力を込めて動かそうとしているがうまくいかない。むしろ足がドアに挟まって抜けないでいるという表現の方がぴったりと馴染むかもしれない。
隙間からは、容赦なく冷気が室内に侵入しており、スターは毛布を肩口まで引き上げた。
「ちょっとルナ、寒いから早く閉めなさいよ」
「サニー、あとで覚えておきなさいよ」
「あの、早く閉めてもらいたいんだけど」
スターが苦言を漏らしてようやく、サニーは、冗談、冗談と鼻歌を振りまきながら、ルナが足で支えていたドアを開けてあげる。
どうにか室内に入ることのできたルナは、重い荷物を一気に下に降ろしたい気持ちを我慢して、それをゆっくりと床に置いた。
やっと荷物から解放されたルナは、何をするよりも早く、手をこすり合わせて暖を取った。
荷物持っていた手はすっかり赤く、すり合わせた両手をルナは顔の前に持っていき、しきりに吐息を吹きかける。
サニーミルク、ルナチャイルド、スターサファイア。それぞれ、太陽、月、星をその名に冠した赤、白、青の三月精。
その三月精の住処が、この洞を使用した大木だった。
「全く最近は、メイド長が出張ってきてるから、気疲れが半端ないわ」
「でも全然気付いてないよね」
「まあ、それはこのサニー様の能力があってこその話よ」
「私も頑張ってるんだけどなぁ」
サニーの能力は、光の屈折で姿を隠す能力であり、ルナの能力は周囲の音を消す能力である。その両者の力を合わせることで完全隠密行動を可能にしているのだ。
そう、紅魔館を騒がす奇怪な鬼魅の正体は、このサニーとルナであった。
普段は、それにスターサファイアが加わり、――スターの能力は動くものの気配を探る力である――、三月精として悪戯稼業に精を出している。
しかし、今はサニーとルナが動き、スターは床に伏せっていたのだった。もし、スターが健在であるならば、三月精の隠れ家に近づく人の姿に気付けたかもしれないが、いやしかし、気付けたところでどうしようもないのだが。
三人が談笑していると、こんこん、とノックが響き、客の来訪を三人に告げた。
こんな時間になにようかしら、と思いながら、ルナがドアを開けると、
「ごきげんよう、サニーちゃん、ルナちゃん、スターちゃん」
紅魔館の瀟洒なメイド、十六夜咲夜が立っていた。
「―――――!」
驚嘆したルナが叫び声を上げる。しかし驚愕した思考が、なんとかこの状況から逃れようと能力をルナに行使させた結果、消音の能力のせいで、あたりは不自然な静けさに包まれた。
サニーも何かしら声を張り上げるが、ルナの能力の発動のせいでその声は届かない。ベッドの上で目を点にしたスターは動くこともできず、固まってしまっていた。
「――、――、―――」
三月精のあまりの動転ぶりに、咲夜の方が気圧されてしまうも、すぐさま平静を取り戻し、パニックに陥るサニーとルナをなだめようとした。
騒がしくないのが、せめてもの救いだが、咲夜の声も消されてしまって収集がつかない。
後ろからひょっこり顔を出したフランは、自分の声が聞こえないことを面白がって、そこら中で暴れまわって、室内であたふたする赤と白の二月精に交じって嬉しそうにはしゃいでいた。
ドタバタという音が聞こえそうで聞こえない大騒ぎの中で、ひと際大きな音が響き渡った。
「きゃん!」
業を煮やした咲夜が、ルナチャイルドの頭に鉄拳を入れた音だった。
一瞬意識が飛んだルナは能力を解除していまい、室内に音が戻ってくる。そこで、咲夜は静かに一言。
「黙らないと、刻むわよ」
ルナの力を使うまでもなく、部屋はしんと静まり返った。同時に部屋の気温も下がったのは気のせいではない。フランはなぜか涙目になっていた。
「これでようやくお話ができるわね」
静止した時が動き出し、フランはぴゅーっと咲夜の横に張り付いた。
咲夜がちらりと室内を見渡すと、大きな包みが目に入った。
「あ、ちょっと、それは」
サニーが手を伸ばして止めようとするが、咲夜の方が若干速く包みの中を開いてしまった。
「あら、これは…」
中に入っていたのは、食料品。しかも、紅魔館で使う一級の食材であるから、咲夜はそれを疑いようがなかった。
「さて、お話していただきましょうか、ねぇ」
しゅんとうなだれるサニーとルナ、そしてスターは申し訳なさそうな顔をしている。
観念したサニーが事の顛末を話しだそうとする前に、スターが口を開いた。
「私のためなんです。怒るなら私にしてください!」
間髪いれずにルナは咲夜の視線からスターを守るようにして、咲夜の目の前に立ちふさがった。
「いや、スターは悪くないし、実行犯は私たちです」
「ちょっと、ルナ。そういう時は、自分一人でやりましたっていうのが華じゃない?!!
いや、なんでもないわ。わたしが提案したんです。スターもルナもその話に乗っただけです」
そのルナを押しのけて、咲夜の前に立つサニー。
三者三様の反応をしているが、それぞれがお互いを想い合っているのが感じ取れた。
咲夜がスターを見やると、彼女の透き通った水色の羽は、不格好に欠けており、顔色も優れないことに気付いた。
「とりあえず、訳を聞こうかしら。話はそれからよ」
鋭い視線を三人に投げかけると、彼女たちは縮こまって下を見た。
怒られなれているのか、なぜかその画は型にはまっていた。
サニーは、項垂れた顔を上げて咲夜を見た。
「私たち、冬の間外で食べ物がとれなくなるから、紅魔館でメイドをしているじゃないですか」
「そうね。よく働いてくれているわ」
事実サニーミルクは、数少ない力のある妖精として、他のメイド妖精たちのリーダーをしていた。
彼女が望むのであれば、ずっと紅魔館でメイドとして手伝ってほしいとも咲夜は思ったこともある。
「でも、この前…あの魔理沙っていう魔法使いが、お屋敷を壊した時、私が怪我をしてしまったんです」
スターは、自分を責めるかのように体を抱えてそう言った。
ルナがスターの言葉を繋いで続けていく。
「紅魔館のお給金は現物支給だし、スターがいなくなってるから、その分のお給料がもらえなくて」
「一週間は我慢したんですけど、二人分を三人に分けるのには、やっぱりもらえる量が少なくて」
「それで盗んでしまったというわけね」
「…はい」
やはり元凶は、あの忌々しい泥棒猫だった。
想像の中の魔理沙は、帽子に手をあて、やっちまったぜ、と笑顔で弁解していた。
ため息しか出てこなかった。
咲夜は、額に手をあて思案する。
盗みをしたのは確かに悪いことであるが、三月精の処遇を咲夜は決めかねていた。
もし咲夜が第一線に立ち続けていたなら、スターの怪我の保障ぐらいすぐにしていた。
原因はあの白黒にあるのだが、雇用主としては責任を持たなければいけない。
人でなしの集団が集まる紅魔館ではあったが、福利厚生は意外としっかりしているのだ。
ただしかし、メイドが仕える主人の所有物に手を出すと言うのは考えものであった。規律を守らせるという意味でも、けじめをきちんとつけなくてはいけない。
これが開き直ってふてぶてしくする性悪妖精であったらきつくお灸を据えて、レミリアに突き出すところなのだが、本人たちは反省して小さくなっているし、真に友人を想っての犯行であっただけに情状酌量の余地がある。
咲夜が結論を出せずに、考え込んでいる間にも、サニーもルナもスターも断頭台を前にした囚人のように息を飲み、黙りこくって顔を青白くさせながら咲夜の言葉を待っていた。
そのような空気の中でフランは、スターの傷ついた羽を見ながら悲しそうな顔していた。しかし何かを思いついたのか、咲夜から手を離してベッドに横たわるスターへ足早に近づいた。
「お屋敷壊したのは、あたしだよ」
そう言って、来る途中に大事にしまったクッキーを取りだすと、スターの毛布の上に優しく置いた。
それだけ言ってフランは、恥ずかしそうに羽をばたつかせて急いで咲夜の元に戻り、エプロンの裾にしがみつき、スターの顔色を伺った。
それだけで充分だった。
「領主たるもの、領民の安寧な生活を保障するのが努め」
咲夜は腕を組んで、堂々と宣言した。
「へ?」
いきなりの言葉に、思考が追い付いていないサニー。というよりかは、言葉の意味が分からなかったに違いない。
「貴族たる我々は、貴女たち領民の暮らしを守らなければなりません。今回の騒動の責任は私たちにあります。
だから顔を上げなさい。貴女たちは友だちのためにやったんでしょ?」
そう言って、咲夜はサニーとルナに一歩ずつゆっくり近づき、二人の頭を優しく撫でた。フランはスターの方に飛んで行って、「やっぱり一緒に食べよう」とスターにお願いする。
ぽかんとしていたスターは、その言葉に我に返った。広げられたクッキーの包みを見て、その中の一枚を取り出す。「はい」、とクッキーを掴んでフランの前に出すと、その指ごとフランはクッキーに食いついた。思わず、スターが黄色い声を上げると、冷え切った部屋の中に笑顔が戻った。
「サニーは、自分の分のデザートを持って帰ったりしてたけどね」
「ちょ、言わないでいいこと言わないでよ、ルナ」
許されたことに油断したルナがぼそっとつぶやいた言葉を、咲夜は聞き逃さなかった。
「――そう、サニーミルク。貴女がお嬢様の大事なショートケーキを食べたのね…」
咲夜の目が紅く染まる。空間に断裂が生じるやいなや、辺りには紅く揺らめく世界と背後に大きな懐中時計を控えた咲夜がナイフを構えて立っていた。
「え、ちょ、そんな、つい出来心で」
蛇に睨まれた蛙のように硬直して動けなくなったサニーの首に、ナイフの背を這わせてから咲夜は、
「冗談よ」
と、展開した術式を解除した。一瞬の事であったが、サニーの顔面からはだらだらと冷や汗が流れていた。
「まあとにかく、スターちゃんの保障は私たち紅魔館がするから、もう心配しなくていいわ。それがせめてもの贖罪だしね。
あと、調子に乗りすぎてもダメよ。今回は許してあげるけど、次はどうなるかわからないからね」
「は、はい! わかりました!」
三人はピシッと背筋を正して、咲夜に返した。
一番大きく返事をしたのは、言うまでもなくサニーミルクだった。
ルナとスターが態勢を崩した後も、足先から背骨、頭までまっすぐに直立し続けるサニーを眺めながら、スターはほのかに綻び、ルナはシニカルに笑った。
「よろしい」
咲夜は、腰に手をあて大きくうんと頷いた。フランも咲夜を真似して背伸びをしながら、ふんぞり返っていた。
事件は一応の解決を見せた。
極度の緊張はスターの傷に障るので、咲夜は早々に帰ることにした。
名残惜しそうに指をくわえるフランを、また遊びに来ましょう、となだめる。
そして、咲夜は帰る前に、
「そう、あといい仕事があるのだけれど……」
■■
「……ということです。お嬢様」
紅魔館最上階、ワンフロアそのものが巨大な部屋であり、主たるレミリアの私室で、咲夜は今回の事件の報告をしていた。
テニスコート4面がそのまま入る大きさの部屋には不釣り合いなほどに小さなテーブル。そのテーブルの椅子に腰かけて、レミリアは話を聞いていた。
本日のお茶は、ホオズキジャム添えのロシアン・ティー。レミリアは紅魔館で取れたフルーツホオズキのジャムをスプーンですくい、山吹色の宝石をまじまじと眺めた。
「食材管理が甘いせいで、このような在庫の集計ミスをしてしまいました。そもそも、犯人なんていなかったのですから、見つからなくて当然でした。申し訳ありません」
つまらない、そう言った顔つきで咲夜を流し見るレミリアは、悩ましげにホオズキのジャムを舐めた。
「咲夜、嘘ついてるでしょ?」
「滅相もございません、お嬢様。それこそ、根も葉もない話ですわ。
お嬢様も知っておられるとは思いますが、
これは、「音」が無い事件ですから」
レミリアは不満そうに、もう一口ジャムをすくい、もう片方の手で頬杖をつく。ジャムの乗ったスプーンを咲夜の方に向け、そっと呟く。
「口が寂しいわ」
咲夜が狙いすましたかのように一礼すると、いつの間にかその手に、赤く太ったイチゴがクリームに沈んだショートケーキを携えていた。
「お嬢様。今日のお茶請けは私の希少品入りショートケーキにございます」
「そう、なら何も問題ないわね」
顔を見合わせる二人。両者とも真剣な眼差しを互いに交わすも、堪えきれなくなったのだろうか。レミリアと咲夜は、くすりと笑みを零した。